良寛・・・③新津の桂家とは
良寛の実父の実家である桂家の史料を田中圭一先生が調べた結果、
次のことがわかった。
桂家四代め誉章(良寛の実父新次郎)は、桂家三代目誉春の
お手かけの子供であった。
それで新次郎は出雲崎の橘家に婿に行った。
ところがである・・
三代目誉春と本妻の間にできた、たったひとりの男子が六部(諸国遊行の行者)になってしまい
出奔してしまったのである。
後継ぎを失った誉春は、新次郎を出雲崎から呼び戻したのだ。
そのとき、すでに・・おのぶの・・おなかには、良寛が宿っていたのである。
良寛の実父と母おのぶは、壮絶な別れが、あったのだ。
おのぶは、その後、以南を婿にする。
良寛自身は、それを知っていたと思われる。
(生涯自分の生年を語らなかったのだ。)
ただ・・晩年に心を通わした貞心尼には、言っているようなのだ。
なお誉章は桂家にもどり再婚する。生まれた子供に栄太と名づけている。
(良寛は、栄蔵である・・)そして、さらに誉章は円通閣を建てた。
(良寛は国仙和尚について修行に行った先の寺が円通寺だ)
良寛は家業(名主兼神官)の仕事がいやで修業にでたのではないのだ・・
以南と血がつながっている弟に家業を譲ったのである。
(首切りをみていやになったとか・・そんな風に書いてある本もあった)
良寛が母を思った歌
たらちねの母がかたみと朝夕に佐渡の島べをうちみつるかも
しかし
父以南についての歌はひとつもない。
なお新津の桂家のご子孫が本を出版されている。
『良寛と桂家』・・・新人物往来社・・・桂尚樹著
1997年発行
この中にある家系図に
豊臣秀吉→時保→時広→誉秀→誉智→誉春→誉章(新次郎)
→良寛。
驚くべきことだが、良寛はこのことを知っていたと思われる。
次回は貞心尼が、良寛の出生の秘密を知っていたと思われる理由について書きたい。
次のことがわかった。
桂家四代め誉章(良寛の実父新次郎)は、桂家三代目誉春の
お手かけの子供であった。
それで新次郎は出雲崎の橘家に婿に行った。
ところがである・・
三代目誉春と本妻の間にできた、たったひとりの男子が六部(諸国遊行の行者)になってしまい
出奔してしまったのである。
後継ぎを失った誉春は、新次郎を出雲崎から呼び戻したのだ。
そのとき、すでに・・おのぶの・・おなかには、良寛が宿っていたのである。
良寛の実父と母おのぶは、壮絶な別れが、あったのだ。
おのぶは、その後、以南を婿にする。
良寛自身は、それを知っていたと思われる。
(生涯自分の生年を語らなかったのだ。)
ただ・・晩年に心を通わした貞心尼には、言っているようなのだ。
なお誉章は桂家にもどり再婚する。生まれた子供に栄太と名づけている。
(良寛は、栄蔵である・・)そして、さらに誉章は円通閣を建てた。
(良寛は国仙和尚について修行に行った先の寺が円通寺だ)
良寛は家業(名主兼神官)の仕事がいやで修業にでたのではないのだ・・
以南と血がつながっている弟に家業を譲ったのである。
(首切りをみていやになったとか・・そんな風に書いてある本もあった)
良寛が母を思った歌
たらちねの母がかたみと朝夕に佐渡の島べをうちみつるかも
しかし
父以南についての歌はひとつもない。
なお新津の桂家のご子孫が本を出版されている。
『良寛と桂家』・・・新人物往来社・・・桂尚樹著
1997年発行
この中にある家系図に
豊臣秀吉→時保→時広→誉秀→誉智→誉春→誉章(新次郎)
→良寛。
驚くべきことだが、良寛はこのことを知っていたと思われる。
次回は貞心尼が、良寛の出生の秘密を知っていたと思われる理由について書きたい。
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