初めて訪問してくださった方へ・・そうでない方も・・読んでください。

このブログをみつけてくださり、ありがとうございます。はじめての方も、そうでない方も、①の最初から読んでくださいますか・・・・・。良寛の出生の秘密が書かれています。私は田中圭一先生が書かれた良寛に関する本が、真実であると思っております。 しかし、世間では、なかなか、良寛の父親が桂家の新次郎であると、信じてもらえません。なぜなんだろう…
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良寛⑲・・・⑱の内容への反論をいただいた。

 ⑱を読んでくださったTさんから反論メールをいただいた。 Tさんより許可を得て、以下にその内容を抜粋して書いてみたので 推理してもらいたい。 ************************************************** 天明2(1782)年の良寛の年齢25歳は巻末の「良寛さん関連年譜」に 書かれていたも…
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良寛⑱・大機和尚が大愚良寛と名付けた→飯島太千雄氏の説

 私は、常々“大愚良寛”という呼び名に疑問があった。 本人が、そういったのか、または誰かがつけたのか・・ 某良寛会会員は、 「国仙和尚が“良寛”と名付けたあと、 良寛本人が 『私は、愚か者だから』と言って、自分で“大愚良寛”と名乗ったと解釈しているが・・。」 と見解を話してくれた。 申し訳ないが、どうも納得でき…
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良寛⑰・・・良寛をとりまく女性ーⅠ維馨尼

 維馨尼(いきょうに)・・維経尼とも書く。どちらが正しいかは、わからない。 (いけいにとも呼ばれる。) 良寛を扱った本には、必ずと言っていいほど、貞心尼(テイシンニ) という女性のことが載っている。 しかし、維馨尼のことを扱った書物は少ない. ・・・・・・・・・ さて維馨尼とは 与板の豪商大坂屋・三輪家六代目の…
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良寛⑯・・・良寛は子供たちと遊び楽しい時を過ごした。・・・その意味するものは・・・

現在、終身雇用制の元で働ける人が少なくなり、パートタイマーや、派遣社員、アルバイトという形態で働く人が多くなっている。つまりは、安定した生活を送れる人が減ってきているのだ。他方、『海外旅行に出かける人出が、過去最高。』というニュースも流れてくる。格差社会の幕開けである。と書きたいところだが、今に始まったことでは、ない。 良寛が生きた江…
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良寛 ⑮  ⑬、⑭、をご覧いただいた方へ・・・訂正しました。

良寛⑬、⑭を訂正加筆いたしました。 間違っておりました。すみませんでした。 もう一度⑬、⑭を読み返してください。 お願いいたします。 以下内容 良寛は、五合庵に約20年暮らしていたとされていますが、 実際には 安住せずに、修行のために、あちこちの寺を 回っていたのです。 つまり五合庵は本拠地とされていたのです。…
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良寛 ⑭  五合庵・・・追記

前の日記で、書ききれたなかったことを書かせていただく。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 先に発表した『五合庵』の中で、 普賢院は、国上寺の住職が兼務していたと書いたが、万元(バンゲン)が、宝永~正徳年間に、 住職を務めていた。普賢院は万元のために、再興された寺でもあった。 安養院も、住職が居ない時期もあり、その時は、…
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良寛 ⑬ 五合庵の隣には、寺が建っていたこと知っていますか?

良寛の 通説では、“良寛は40歳にて五合庵に住みはじめ、59歳の時、乙子神社に移り住む”となっている。 つまり、この庵に、約20年住んでいたことになっている。だが本当は、時々は、不在のときもあったのだ。 この当時、五合庵は国上寺(コクジョウジ)の住職の隠居所となっていた。この国上寺は、国上山(クガミヤマ)にある。 国上寺は…
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良寛 ⑫ 伊能忠敬の測量日記に良寛の実家、橘屋が載っている。

 西暦1802年10月25日、26日(和歴、享和2年9月29日、30日) 伊能忠敬は、出雲崎に止宿している。止宿先は、良寛の生家である橘屋(名主・本陣をつとめていた。)である。 当主は、代々世襲名を名乗っている。世襲名は新左衛門。屋号は、橘屋である。つまり当主は橘新左衛門である。 しかし伊能忠敬の測量日記には、橘左衛門と記されてい…
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良寛・・・⑪出奔した日、光照寺には、行っていない。

良寛の幼名は栄蔵。元服後は文孝であるが、わかりやすく良寛と書かせていただく。ブログのはじめの方の記事にも書いたが、以南と言うのは義理の父親の名前である。新津の新次郎(新津の桂家四代目・誉章)が実父であることを頭に入れておいてほしい。  良寛は7月17日、18歳のとき出奔した。このときの理由は、一般的には、名主見習の時に、断首の刑を…
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良寛・・・⑩時代背景

 良寛の母おのぶは、佐渡相川の橘屋から嫁いだことを、書いたが、この橘屋は出雲崎の橘屋と、どういう関係なのか・・とか・・そのころの時代背景を書いてみる。 天文11年(1542年)佐渡では、銀山発見され、金穿り(かなほり)、山師、商人が集まって来た。その数5万人ともいわれている。対岸の出雲崎は、佐渡への玄関口となり、賑わってきた。良寛…
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良寛・・・⑨諸国行脚・・・

 良寛は円通寺を去った後、諸国を行脚している。 その当時の話を探してみた。 紀野一義氏の随想から・・抜粋させてもらう。 良寛が、足繁く通った解良(けら)家十三代栄重(よししげ)は、 良寛禅師奇話を、書いている。   その中にある一節・・が以下である。 近藤又兵衛万丈が、土佐にて良寛と思われる人物と同じ庵に …
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良寛・・・⑧凛とした態度が、しのばれる歌

最近はやりの言葉・・ロハス。 ロハスとは・・yhoo辞書によると 健康で持続可能な社会を志向するライフスタイルの意/// 良寛は、ロハスな人生の先駆者であると言ったジャーナリストがいた。 確かにそうかもしれない・・ しかし・・ そうなる背景と言うか、良寛の人生を探究していくうちに そんな簡単な言葉で表現してもら…
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良寛・・・⑦まだある・・名前の間違い

 良寛・・②の内容をさらに詳しく書かせていただく。 『良寛の母おのぶ』磯部欣三著 良寛の母親のことは、この本に集約されている。 ・・・ 少し内容を紹介させていただく。 良寛の母親の 神諡と仏諡は 神諡・・秀比米命 仏諡・・樹林院法音蓮秀大姉 となっている。 その両方にある、秀と言う字を俗名からとった一字と…
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良寛・・・⑥良寛から出る雰囲気は

いろいろな書物に良寛のことが取り上げられている、 その中の特に印象深い文章を紹介したい。 東京書籍・日本の仙人たち (老荘神仙思想の世界)大星光史著 この本の中に良寛のことが 載っている。 ・・無邪気な心をもっている大人が良寛と言うように 紹介されている。しかし・・それだけではない姿も紹介 されている。 ・…
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良寛・・・⑤良寛はどう描かれたか・・・・

 江戸時代に『良寛禅師奇話』(リョウカンゼジキワ)という良寛の 伝記がだされている。 解良栄重(ケラヨシシゲ)という儒学者が書いた。 この栄重の父親は良寛を尊敬し、又お世話する人でもあった。 栄重はこの父親から、いろいろと良寛に、まつわるエピソードを・・ 聞き書いたのだ。また・・この本には、巷に流れる良寛にまつわる話も、 同…
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良寛・・・④出生年のこと

 田中圭一先生の『良寛の実像』から、 以下要点。 母おのぶと新津から来た新次郎と夫婦になったのは、1750年(寛延三年)  おのぶは、1751年(宝暦元年)佐渡へ里帰りをしている。  そして・・・・・・・・・・・宝暦四年には、与板の新木与五右衛門               の二男である重内(以南)と再婚する。     …
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良寛・・・③新津の桂家とは

 良寛の実父の実家である桂家の史料を田中圭一先生が調べた結果、 次のことがわかった。 桂家四代め誉章(良寛の実父新次郎)は、桂家三代目誉春の お手かけの子供であった。 それで新次郎は出雲崎の橘家に婿に行った。 ところがである・・ 三代目誉春と本妻の間にできた、たったひとりの男子が六部(諸国遊行の行者)になってしまい 出…
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良寛・・・②母親の名前は、おのぶ

①でご紹介した田中圭一先生の著書“良寛の実像”の中に、 すべて書かれているので、あえて、要点だけご紹介する。 田中圭一先生と磯部欣三氏が以下の文章を発見した。 ・・・・・・・・・・・・ 佐渡国略記 (相川町町年寄伊藤三右衛門が江戸時代の出来事を細かに記したもの) という本の中の 寛延三年(1750年)の項に・・・ ・…
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良寛・・①出生の秘密・・・・

 ある時、子供に 『良寛さんは何をした人なの?』 と質問された。私はとっさに答えられなかった。 『そうねえ~書とか、歌とか・・今度、本を読んでみようね』 と、これが精いっぱいだった。 子供向けの本には、それこそ、父親のこと母親のことなど 詳しくは書いていない。おうちのお仕事が嫌で、 出て行って坊さんになったことぐらいが載っ…
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